原爆ドームと平和記念公園を歩いて
広島で平和について考えた一日
先週、学会参加のために広島を訪れました。せっかくの機会だったので、以前からずっと訪れたいと思っていた 原爆ドームと平和記念公園を歩いてみました。静けさの中に刻まれた歴史と向き合う時間は、 想像以上に心を揺さぶられるものでした。
原爆ドームで感じた「空気の違い」
広島で最初に向かったのは原爆ドームでした。建物の全景を目の前にした瞬間、写真では決して伝わらない重みが胸に迫ってきました。
周囲より冷たく感じた空気とともに、過去の重みが伝わってきた場所。
ドーム周辺を歩いていると、周囲よりも気温が2〜3度低いような冷たい空気を感じました。気のせいかもしれませんが、その空気の違いが、この場所に刻まれた歴史の深さを静かに物語っているようでした。
妻に声をかけようとした瞬間、
言葉が喉の奥で止まり、涙がこぼれそうになる。
そのような不思議な感覚に包まれました。建物の前に立つだけで、心が自然と締めつけられるようでした。
周囲には多くの外国の方々も訪れており、皆が真剣に説明文を読み、静かに立ち尽くしている姿が印象的でした。
平和を願う気持ちは国を越えて共有されていると強く感じました。
資料館で触れた「戦争の現実」と禎子さんの物語
続いて訪れた平和記念資料館では、被爆当時の写真や遺品が数多く展示され、戦争の悲惨さが現実として迫ってくる時間でした。
その中でも特に心に残ったのが、「原爆の子」として世界に知られる佐々木禎子さんの記録です。
禎子さんは「千羽鶴を1000羽折れば願いが叶う」と信じて、病室で折り鶴を作り続けました。
2歳で被爆し、元気に成長していたものの、小学校6年生で白血病を発症。
「病気が治ってまた走りたい」という純粋で切実な願いが込められていたのでしょう。
資料館には禎子さんの写真、家族の証言、そして病室で折られた小さな鶴の一部が展示されており、 ひとつひとつの鶴に「生きたい」という思いが込められていることが伝わってきて胸が締めつけられました。
原爆の子の像の前で感じた祈り
資料館を出て公園の中を歩いていくと、佐々木禎子さんの願いを象徴する「原爆の子の像」が見えてきました。 像の姿は、禎子さんの物語が今も世界に語り継がれている証のようでした。
その祈りは、色鮮やかな折り鶴とともに今も世界中へ広がり続けている。
像の周囲には、世界各国から届けられた折り鶴が並び、色とりどりの祈りが風に揺れていました。
禎子さんの短い生涯が、平和を願う世界中の心をつなぐ象徴になったことを改めて実感しました。
平和を願い続けるということ
原爆ドームと原爆の子の像。たった2つの場所を訪れただけでも、広島が伝えようとしている想いは深く心に届きました。
平和は当たり前ではなく、守り続けなければならないもの。
その思いを胸に、これからも日々を過ごしていきたいと思います。