こたに内科・甲状腺クリニック

院長のブログ

ジゼルを観劇してきました

2025年12月9日

娘のジゼルと、ウクライナ国立バレエのジゼルが重なった一日

 

この週末、思いがけない “ジゼル尽くし” の一日になりました。 本来なら、娘が大学の公演でジゼル役を踊る日。ところが私はどうしても仕事があり、会場へ行けず……。 妻だけが娘の晴れ舞台を観に向かい、私は地元で留守番となりました。

同じ日、地元ではウクライナ国立バレエが「ジゼル」を上演しており、開演時間が娘の公演と “ちょうど1時間違い” という偶然。実はチケットは前もって購入していたため、 まるで娘の舞台に寄り添うように、同じ演目を別の地で観るという不思議な体験となりました。

第1幕の終わりは胸を打たれ、思わず涙が浮かぶほど。録音音源ではありましたが、 ダンサーたちの気迫と美しいラインに引き込まれ、物語の世界にすっと入り込んでしまいました。

そして第2幕。通常の演出では、アルブレヒトはジゼルに救われて地上に残り、ジゼルだけが天国へ旅立ちます。 しかし今回の公演では、なんとアルブレヒトもジゼルと同じく天国へ向かい、天上で二人が結ばれるという結末に。 美しいとも言える一方で、思わず 「あれ、二人とも天国に行ったの?」 と戸惑うほど、印象的なラストでした。

さらに珍しく、第2幕終了後のカーテンコールでは撮影が許可され、挨拶するダンサーたちの写真や軽い動画まで撮影することができました。 この記事にはその一部も併せて掲載したいと思います。

カーテンコールの写真と動画

ジゼルとアルブレヒト、主要キャストの挨拶


応援の拍手に包まれるカーテンコール(撮影許可時間内)

※撮影許可の出たカーテンコールのみ撮影しています。


やはりバレエ観劇は心を満たしてくれます。同じ演目でも演出が変われば新たな発見があり、 踊りが紡ぐ物語に触れるたびに、観る側の感情までも揺さぶられます。

娘の公演を直接観られなかったのは残念でしたが、それでも思いがけない偶然に導かれた「ジゼル」の一日は、 とても豊かな時間となりました。

歩ける鳥居、浮かぶ鳥居、そして光る鳥居。宮島で見た美しさ

2025年12月4日

潮が描く神の景色:宮島・厳島神社で出会った四つの大鳥居


原爆ドームと平和記念資料館を訪れ、戦争の悲惨さと平和の尊さについて深く考えさせられたあと、宮島へ向かいました。
広島の歴史の重みを胸に抱えながら向かった宮島では、自然と信仰がやわらかく溶け合う穏やかな時間が流れていました。

原爆ドームでの体験が心に静かに残る中で見た大鳥居は、潮や時間によって姿を変え、生命のように表情豊かでした。
ここからは、私が宮島で目にした干潮・満潮・夕方・夕刻という四つの鳥居の姿を記していこうと思います。


📸 干潮時に歩いて近づけた大鳥居

干潮時には潮が大きく引き、鳥居のすぐそばまで歩いて行けるほどでした。
海底の砂の感触を確かめながら見上げた鳥居は迫力があり、まるで海が道を開いてくれたような特別な時間でした。


📸 海に浸かる大鳥居

数時間後、同じ場所へ戻ると景色は一変していました。
先ほどまで歩けた場所はすべて海の下に沈み、鳥居は海に浸かりながら凛とした姿を見せていました。

干潮と満潮という自然の営みだけで、景色がここまでドラマチックに変わることに心を奪われました。

自然と信仰が調和した厳島神社ならではの美しさを強く感じた瞬間でした。


📸 夕方、青みが濃くなり始めた時間の大鳥居

日が傾きはじめ、空の青が徐々に深まっていく時間帯。
光が弱まりつつある中で立つ鳥居は、静けさをまといながら、また違う表情で迎えてくれました。

満潮とも干潮とも違う、光と影が織りなす柔らかな時間。
宮島の一日の移ろいを感じられる瞬間でした。


📸 夕刻、わずかに明るさが残る時間帯の大鳥居

夕刻になると空気は一段と青みを増し、空にはわずかな明るさだけが残っていました。
その中でライトアップされた鳥居のオレンジ色が鮮やかに浮かび上がり、海面にも柔らかく反射していました。

昼でも夜でもない「わずかな光の残り香」が作り出す美しさに、しばらく足が止まりました。
宮島でしか出会えない、静かで幻想的な時間でした。


🏯 宮島しゃもじに込められた縁起

宮島名物のしゃもじには、「福をすくう」「運をすくう」「勝利を呼び込む」という縁起のいい願いが込められています。

厳島神社を歩いたあとに手にするしゃもじは、お守りのような温かさがあり、島の文化と祈りがそっと伝わってくるものでした。


🏝 まとめ:自然と文化が息づく宮島

干潮・満潮・夕方・夕刻という四つの時間帯に、宮島の大鳥居は見事なほど多彩な表情を見せてくれました。

自然の移ろいそのものが信仰の景色となり、宮島という場所の尊さを静かに語っている。

次は季節や潮の高さを変えて歩き、また違う表情の宮島に出会いたいと思わせてくれる旅でした。

原爆ドームと平和記念資料館で感じた平和への想い

2025年12月4日

原爆ドームと平和記念公園を歩いて

広島で平和について考えた一日

 

先週、学会参加のために広島を訪れました。せっかくの機会だったので、以前からずっと訪れたいと思っていた 原爆ドーム平和記念公園を歩いてみました。静けさの中に刻まれた歴史と向き合う時間は、 想像以上に心を揺さぶられるものでした。

原爆ドームで感じた「空気の違い」

広島で最初に向かったのは原爆ドームでした。建物の全景を目の前にした瞬間、写真では決して伝わらない重みが胸に迫ってきました。

静寂の中に立ち続ける原爆ドーム。
周囲より冷たく感じた空気とともに、過去の重みが伝わってきた場所。

ドーム周辺を歩いていると、周囲よりも気温が2〜3度低いような冷たい空気を感じました。気のせいかもしれませんが、その空気の違いが、この場所に刻まれた歴史の深さを静かに物語っているようでした。

妻に声をかけようとした瞬間、

言葉が喉の奥で止まり、涙がこぼれそうになる。

そのような不思議な感覚に包まれました。建物の前に立つだけで、心が自然と締めつけられるようでした。

周囲には多くの外国の方々も訪れており、皆が真剣に説明文を読み、静かに立ち尽くしている姿が印象的でした。
平和を願う気持ちは国を越えて共有されていると強く感じました。


資料館で触れた「戦争の現実」と禎子さんの物語

続いて訪れた平和記念資料館では、被爆当時の写真や遺品が数多く展示され、戦争の悲惨さが現実として迫ってくる時間でした。

その中でも特に心に残ったのが、「原爆の子」として世界に知られる佐々木禎子さんの記録です。

禎子さんは「千羽鶴を1000羽折れば願いが叶う」と信じて、病室で折り鶴を作り続けました。

2歳で被爆し、元気に成長していたものの、小学校6年生で白血病を発症。
「病気が治ってまた走りたい」という純粋で切実な願いが込められていたのでしょう。

資料館には禎子さんの写真、家族の証言、そして病室で折られた小さな鶴の一部が展示されており、 ひとつひとつの鶴に「生きたい」という思いが込められていることが伝わってきて胸が締めつけられました。


原爆の子の像の前で感じた祈り

資料館を出て公園の中を歩いていくと、佐々木禎子さんの願いを象徴する「原爆の子の像」が見えてきました。 像の姿は、禎子さんの物語が今も世界に語り継がれている証のようでした。

「千羽鶴を折れば願いが叶う」と信じた禎子さん。
その祈りは、色鮮やかな折り鶴とともに今も世界中へ広がり続けている。

像の周囲には、世界各国から届けられた折り鶴が並び、色とりどりの祈りが風に揺れていました。
禎子さんの短い生涯が、平和を願う世界中の心をつなぐ象徴になったことを改めて実感しました。


平和を願い続けるということ

原爆ドームと原爆の子の像。たった2つの場所を訪れただけでも、広島が伝えようとしている想いは深く心に届きました。

平和は当たり前ではなく、守り続けなければならないもの。

その思いを胸に、これからも日々を過ごしていきたいと思います。

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